ジェリーわたなべが英語を好きな理由【1995年のアメリカ旅行】

英語

僕は英語が好きです。

TOEIC990や英検一級を取得したからではありません。

そもそもこの記事を書くまでは、特に英語を「好き」とは思っていませんでした。しかし「今まで継続してきたことって何だろう?」と考えた時、「英語の勉強だったら小学校3年生からずっと続けている!」と気づいたのです。

もう20年以上続けているわけですから、「好き」と言っていいはず。

現在でも毎日

①英単語帳で勉強
②The New York TimesやThe Straits Timesで海外ニュースチェック
③『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』を用いた口頭英作文のトレーニング
④海外YouTuberの新作チェック

等を続けています。

さらに英語に触れる中で気づいた新出英単語や海外の文化等について、Twitterやブログで発信する時は、とてもワクワクします。

▲New York Times読んでて新出表現を見つけた時のTweet

 

ではなぜ僕は、これほど英語が好きなのか?

ブレイン・ストーミングをしてみた結果、膨大な理由が浮かびました。

今回の記事ではその中でも「英語と出会った原体験」とも言える、「1995年に連れていってもらった家族旅行」について執筆します。

①最初に家族旅行の概要を述べ、②次に僕が英語好きになった契機となった経験について説明します。

最後までお読みいただけたら幸いです。

1995年に連れていってもらった家族旅行

1995年(平成7年)8月の2週間、両親と兄の4人で家族旅行でアメリカ合衆国に行きました。当時は御巣鷹山の事故から10年、終戦から50年ということでテレビで関連番組を多く放送していたのを記憶しています。

最初にシアトルに降り立ち、大陸横断鉄道「アムトラック(Amtrak)」に乗ってロッキー山脈を越えてウィスコンシン州ミルウォーキーへ。ミルウォーキーでは父の友人と合流。その後グリーンベイまで車で移動。最後は、またミルウォーキーからシカゴまで列車で移動しました。

もともと乗り物に弱い体質なので車で酔い、電車で酔いと、とにかく大変でした。飛行機ではさすがに酔い止め薬のお世話に。ただし搭乗した当時のノースウエスト航空は、映画を自分の好きな時に観られなくてとにかく退屈だったのを覚えています。

常に吐き気や頭痛と戦い大変なアメリカ旅行でしたが、次のような思い出もありました。この思い出があるからこそ、今でも英語が好きなのです。

ジェリーわたなべを英語好きにした思い出

1.外国ならではのスケールの大きさや文化に出会った
2.優しい人達に出会った
3.英語が分からなすぎて泣いた
4.外国人と会話する両親の姿を見た

以下ではそれぞれの思い出について説明します。

旅行の思い出①:外国ならではのスケールの大きさや文化に出会った

▲実際に訪れた場所ではありません

シアトル滞在中にキングドームというスタジアムで、シアトル・マリナーズの試合を観戦しました(キングドームは2000年に取り壊され、現在ではT-モバイル・パークがマリナーズの本拠地となっています)。そしてウィスコンシン州グリーンベイでは、広大な牧場を見たのを覚えています。とにかくアメリカは広いし大きい!(当時は北海道に行ったことがなかったので、今以上にびっくりしたものです)

またアニメやコミック文化にも驚かされました。ケーブルテレビが日本でまだ普及していない当時、24時間アニメを観られるカートゥンネットワークは大変衝撃でした。そこで観た「レンとスティンピー(原題:The Ren and Stimpy Show)」というアニメにもビックリ。日本のアニメとは全く異なる、バイオレンスな内容に目が釘付けになったものです。そして1995年当時に日本で公開されて大人気となっていた映画『マスク』の原作コミックにもビックリ仰天。ファミリー向けコメディだった映画版と違い、原作はダークでグロテスクな大人向けの内容だったからです。

大きな世界、そしてそこで展開される目新しい文化。それらを100%楽しむために、「ぜひ英語を理解したい!」と子ども心に、深く思ったのでした。

旅行の思い出②:優しい人達に出会った

ウィスコンシン州ミルウォーキーでは、父の友人のデニスさん一家と合流しました。デニスさんは奥さんと娘のメーガンちゃんの3人家族。メーガン「ちゃん」といっても、僕とだいたい同じ年です。今では法律関係のお仕事をされていると聞いています。

このデニスさん一家が、感動的にフレンドリーでした!

英語がわからない僕でも、笑顔で遊びに誘ってくれたり、ゲームボーイをしたりプールで遊んだり。また地域のコミュニティの人が、僕のお誕生会を開いてくれたことも嬉しかったです。お誕生日プレゼントにはヴィヴィットな色のマジックペンセットをいただきました。

とってもフレンドリーな方々に出会えて、外国人とでも友達になれると体験から学びました。その一方で英語で当時の感謝の気持ちを伝えられたら、どんなに良かったかわかりません。

旅行の思い出③:英語が分からなすぎて泣いた

旅行時、僕は地元の学習塾で簡単に英語には触れていました。ですがメーガンちゃんと遊ぶ時やレストランに行った時に、当時の僕は全く英語が聞き取れない&喋れませんでした。

さらに人見知りな性格&アメリカという不慣れな環境で疲労困憊だったこともあり、現地の人とのコミュニケーションはほぼ皆無でした。

メーガンちゃんと遊んだ時に「アイムソーリー」くらいは言ったかもしれません。ですが人懐っこく積極的にコミュニケーションを取れる僕の兄とは対照的に、僕は随分と静かでした。

英語が分からなすぎて泣いてしまったこともあります。

メーガンちゃんと兄と僕の3人で、一緒の部屋で寝た夜のことです。その時はベットタイムストーリーがカセットで流されていました。ベットタイムストーリーとは、寝る前に読み聞かせる簡単なお話のこと。今から思い出すと、お姫様が王子様と幸せになる的なストーリーだったのではないかと思います。

わけのわからない言葉で静かに語りかけてくるナレーターと、闇夜にこだまする馬の蹄の効果音が何やら怪しく、当時の僕は堪りかねてしくしく泣いてしまいました。

こんな感じで英語によるコミュニケーション、という点では散々でした。でもだからこそ、今日まで英語が好きなのだと思います。英語でコミュニケーションするたびに、当時からの成長を心から感じられるからです。

旅行の思い出④:外国人と会話する両親の姿を見た

僕を英語好きにした、旅行の思い出の最後です。両親の旅行中の姿を見て、英語を話すことに対するハードルが下がりました。

旅行中、主にホテルや電車の切符を取ってくれたのは父でした。生意気なことを書きますが、父親の発音はネイティブっぽい発音ではありません。しかしそれでも十分に、快適な旅行という目的を達成できました。(ちなみに最近では英語が話す必要がある場合は、父の代わりに僕がお店の人と交渉します)

また母親は英文は読むのですが、あまり話しません。そんな母親がお店で注文する方法。それは「笑顔で『これください』と言って欲しい物を指差す」でした。

いくら英語が話せないとは言え、僕はこの注文方法に面食らってしまいました。でも実はこれって、すごく大事なことを教えてくれていると思います。立派な英語のフレーズが出てこなくても、笑顔で商品を指差してお金を払えば欲しいものは買えるのです。

ネイティブのような英語を話さない両親が、アメリカで堂々と振る舞う姿を見て、「そっか。別に外国人のような英語を話す必要はないんだな。少なくとも旅行では」と気づけました。

少し余談を書きます。

僕が高校で英語教師をしていた時は、「自分はネイティブっぽい発音はできない。だけどそんな自分がネイティブの先生と一緒に授業している姿を見て、『あのくらいの英語でも外国人とコミュニケーション取れるんだ』と生徒に感じてもらえたら良いなぁ。」と思っていました。生徒が実際にそう思ってくれたかは不明。

たしかに英語教師である以上、常に英語力を磨く必要があると思います。でもすべての先生がネイティブっぽい発音をしていては、かえって生徒たちを萎縮させてしまうのではないでしょうか。

時には若手教師がネイティブっぽくない発音でコミュニケーションを図る姿を、生徒に見せても良いと思います。

9歳児の心に刻まれた英語の記憶

僕が英語を好きな理由は、「9歳の時に行ったアメリカ旅行で印象的な経験をしたから」です。

その経験とは

1.外国ならではのスケールの大きさや文化に出会った
2.優しい人達に出会った
3.英語が分からなすぎて泣いた
4.外国人と会話する両親の姿を見た

でした。

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